知り合いの親父さんから誘われたバンコク旅行を断ったその後、電気工事の会社に就職して毎日忙しく働いていたある時、海外出張の打診がおいらにやって来ました。

出張先はタイ・バンコク。

発展途上国のインフラ整備の為、政府が開発援助をしている事業の一つで、おいらが働いていた会社からも数人行く事になったとの事。

期間はまずは2~3ヶ月という事だったのでそれほど長い出張ではないし、海外で働くというのも興味があったし、ないより行きたいと思っていたタイへの出張だったので一応希望してみたが、最終的には会社が出張者を選択する事になり、残念ながら少し大きな現場で作業していたおいらはその人選から外されてしまった。

非常に残念に思っていたけど、3ヶ月後出張から戻って来た人達は遠くを見るような目で「暑かった・料理が辛かった・作業が大変だった・遊ぶ時間無かった」と言っていたのできっと大変な出張だったんだろうと思う。

ちょっと行かなくて良かったと思ったけど、再びタイに行くきっかけを逃したのはちょっと残念だった。

その頃、よくテレビで王宮付近のライトアップと作業着姿の男性が写り「ここはタイの首都・バンコック。ここでも明電舎の技術が役に立っています」というナレーションのCMが流れていました。会社は違うけど、そんな仕事をしていたんでしょうね。

こうして2度目の機会を逃してしまったのだけど、追い打ちをかけるように3度目の機会を逃す。

その時働いていた会社から下請けの会社に出向する事になってしまった。

出向と言えばカッコイイが、半分は左遷に近い。仕事の量は格段に増えるが給料は僅かな出向手当が付くくらい。

全くテンションの上がらない仕事だったけど、楽しい事も少しはありました。

それは忘年会、新年会、そして慰安旅行があること。しかも慰安旅行は海外だという。海外に行ってみたいと思っていたおいらはそりゃもう毎日が楽しみでつまらないアパ-トの配線工事とか、工場の保守とか頑張っちゃいました。

です。年1回の慰安旅行程度で1年間のモチベーションを上げる事なんて不可能です。

結局ダラダラと仕事を続け、遂に慰安旅行の季節がやって来たのです。

行き先候補は東南アジアと言う事で社員の希望が聞かれ、最終的にバンコクかシンガポールに絞られたが、結局シンガポールに決まってしまったのである。

男性社員のほとんどは当然の事ながらバンコクを強く希望したが、社長の嫁さん率いる女性社員一同が半ば強行的にシンガポールに決めてしまったのだ。

とりあえず念願の海外旅行には行ける事になったが、またタイ行きの機会を逃したのが非常に残念だった。

初めて行った海外旅行、シンガポールは・・・全然楽しくなかったのだ。

シンガポールはとても綺麗で、言葉も英語だし、子供の頃テレビでみた東南アジアの国々、特にタイとは全く違っていた。おいらが行きたかった国では全く無かった。

やっぱりタイに行くしかねぇ!とは思ったが、3度タイに行くきっかけを逃して、何故か自らタイに行こうとはまだ思えなかったのだ。

ポンっ、と誰かが肩を押してくれるのを待っていたのかも知れない。

おいらと縁がある国ならいつか行けるような気がしていたし、逆においらはタイと縁がないのかも知れないとも感じていた。

「インドはインドに呼ばれた人が来る」なんて言葉があるけど、タイもそうなのかも知れないと思い続けた数年後、私はタイに呼ばれたのだ。

 

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