バンコクにわたしをひとりにしておけない旦那の意向です。
ここ重要です。
はい。わたし、ちっとも帰りたくないのです。
だって、先月来た弟が「こっちめちゃくちゃ暑いよー」とか言うし。
100Bくらい払わなくちゃカットすいか食べられないんでしょ?
「お墓参りしたいし、まあ、いいか」と自分を納得させました。
帰ったらあそこのランチにいくぞーとか友達に会うぞーとか楽しみを作って、帰国当日までわくわく感を演出しました。
育った岐阜を感じるのは「金華山」と「伊吹山」を見た瞬間からでしょうか。
出発した日からなんにも変わらない風景。
家族に会うにあたって自分が出発したあの日から成長していないことに恥ずかしさすら感じました。
宿泊は実家。
ひさびさに母ちゃんの手料理を楽しみにしていたら、4月に定年退職した父ちゃんが「かあちゃんが居ない老後に備えて料理教室に通っている。昼飯と夜飯は父ちゃんが料理当番だ」というではないですか。
頭が下がります。
蕎麦、うどん、冷やし中華をリクエストしてたべさせてもらいました。
いちばん楽しみにしていたランチはネパール人がやっているインド料理です。
意外だったのがここのインド料理はバンコクよりお値打ちだったこと。
インドから近いからタイのインド料理が安くなるってわけでもないんですねー。
そのお店は頻繁に通っていたのでネパール語を教えてもらったり、ご主人の故郷のことを聞いたりしていました。ヒマラヤ見たい!
帰国中は意外にもほぼ外食しませんでした。
唯一中華料理店で「鶏の辛みそ炒め」をたべましたが、これが全く辛くないので笑えました。
普通に「家ご飯」が美味しかったです。これがわたしの「日本の味」なんでしょうね。
日本で買ったものは小さなボトルの調味料。
コーミソースとわさびチューブ。
夏物バーゲンだったズボンとワンピース。
お金を出せば買えないもののないバンコクです。
でも、日本のよいところを再認識した買い物でした。
会う友人たちが口を揃えて「いま、タイってあぶないんでしょう?」と言います。
ほぼ毎日メールしている両親ですら「だいじょうぶなのか?」と言います。
他の国の事情や状況を説明すること、理解することは本当に難しいのですね。
家族に不安を与えてしまっている点では親不孝と言わざるを得ないでしょう。
家族や友人の理解協力でここに至っているので、心配させない生活環境をタイでつくらないといけないですね。
アパートに戻ると旦那が「あーやっぱ家は落ち着くなー」と開口一番。
バンコクへ「帰ってきた」という思いがつよくなる。
夕飯の買い出しにオンヌットの通りを歩くと「いつものおじさん」「いつもの屋台」に出会う。
ここが「わたしたち夫婦の居る場所」でいいんじゃないかなーと感じる瞬間。
まだまだはじまったばかりのバンコク生活。どのようにしてゆくか、自分たちにかかっています。
日本から戻ってきたスーツケースは「快適」という誘惑に負けた欲望でいっぱいになっていました。
日本を離れた時、できるだけ身軽になろうという決心は脆いものですね。
そういう気持ちやイミグレーションでの「ちゃんと入国させてもらえるかな?」というドキドキ感は結構疲れます。
だから、できるだけ日本には帰りたくないかな。
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